東日本大震災を風化させない。震災遺構から命を守る教訓を伝え続ける。

世界三大漁場“金華山沖”を誇る 港町「石巻市」

石巻市は北上川の河口に位置し、伊達藩の統治下では、水運交通の拠点「奥州最大の米の集積港」として、全国的に知られた交易都市でした。明治時代からは、金華山沖漁場を背景に漁業のまちとして栄え、現在も、金華山沖は世界三大漁場の一つに数えられ、かつお・いわし・さばなどの水産資源の宝庫となっています。また、昭和39年に新産業都市の指定を受けてからは、石巻工業港が開港するなど、工業都市としても発展を遂げてきました。さらに、平成元年に石巻専修大学が開学するとともに、三陸自動車道の延伸、石巻港の整備、平成13年には、本市が進めるマンガランド構想の中核施設となる「石ノ森萬画館」が完成しました。

東日本大震災では、国内観測史上最大となるマグニチュード9.0を観測。震度6強の激しい揺れと、沿岸域全域に襲来した巨大津波は、防潮堤を破壊し、多くの人命を奪い、住まいや働く場、道路や港湾、漁港など多くの財産が失われました。未曾有の大災害となり、深い傷跡と悲しみの記憶を残すこととなった大震災ですが、全国の方々から多くの心温まるご支援をいただき、今日まで復興へと歩みを進めることができました。

「最大の被災地」だからこそ伝えていく責任がある

東日本大震災は未曽有の大規模自然災害であり、東北地方の太平洋沿岸を中心に広い範囲で甚大な被害をもたらしましたが、中でも本市は「最大の被災地」と言われています。

死者3,187名、行方不明者415名という信じ難いほど多くの方が犠牲になり、市内平野部の約30%に当たる約73平方キロメートルが浸水、住家の76.6%に当たる56,708棟が被災しました。

わたしたちは、先人たちの教訓があったにもかかわらず、東日本大震災でたくさんの大切なものを失い、それまでの日常からの大きな転換を余儀なくされました。あれから時が経ち、震災の記憶が徐々に風化していると言われていますが、同じ過ちを繰り返さぬためにも、わたしたちはあのとき何を感じ、考え、どのように行動したのか、この事実をしっかりと伝えていく必要があります。

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